京都大学大学院インターンによる気仙沼滞在報告(その1)
SEEDS Asiaでは、3月11日~3月22日の2週間、京都大学大学院生をインターンとして受け入れました。インターンが見聞きして感じた、気仙沼の現状です。
3月12日
東日本大震災が発生してから、ちょうど2年が経ちました。
昨晩(3/11)、ここ気仙沼からは3本の光が空に向かって伸び、多くの方が足を止め、このヒカリを眺めていました。
一晩明けた3月12日、目に入るのは、住宅基礎が残る、まだ更地のままの一帯です。
SEEDS Asiaが事務所を構えるアパートにも、津波の痕跡が見て取れます。
被災した鹿折小学校は、綺麗に修復されています。
鹿折の復興商店街にも、沢山の人が訪れていました。
食事処だけではなく、コミュニティスペースやハンコ屋や理容室などの店舗もあります。
巻き網漁船「第18共徳丸」の周りには、県外からと思われる方々がおられました。
船のそばには、献花された花が沢山置かれていました。
合同庁舎であった建物は未だ解体中です。
そのすぐ横にある津波避難ビルには、津波の高さを示す標識がありました。
南気仙沼の南を走る大川の河川敷には、桜並木が茂っています。
ここには、気仙沼湾からの防潮堤が建設予定であり、ここで桜が見れるのも、今年で最後のようです。
復興屋台村、気仙沼横丁で昼食を取りました。
今回お世話になった店内には北海道など、県外からお越しになられた方のメッセージでいっぱいです。
気仙沼の魚介がふんだんに使われた賄い丼をいただきました。
午後からは、SEEDS Asiaが事業支援を行っている気仙沼復興協会(KRA)の福祉部の事務所にて、業務を行いました。KRA福祉部では、仮設住宅への見回りなどを行っています。
震災から2年、少しずつではありますが、復興が進んできています。
しかし、依然として課題が山積しており、思うように復興が進んでいないのも事実です。
一刻も早い復興が望まれますが、出来ることから一つずつ進んでいく。
復興におけるジレンマが続いていますが、それでも前を向いて一歩ずつ前進していくしかない、被災地の現状を見た1日でした。
<京都大学大学院インターンによる気仙沼滞在報告>