豊岡市立新田小学校メモリアル集会と防災授業の視察報告 ー 「プラポン」に会いに行く ー
兵庫県北部を直撃した平成16年(2004年) 台風23号 から 19 年を迎えた2023年10月20日、豊岡市立新田小学校を訪問しました。
豊岡市(合併前)では、一級河川の円山川の堤防が決壊したことにより、 7 人に及ぶ人的被害、全壊 333 棟、大規模半壊 1,082 棟、半壊 2,651 棟など、甚大で広範囲に及ぶ被害が記録されています(豊岡市HP: 旧豊岡市の被害と対応)。
新田小学校は、円山川の後背湿地にあり、堤防の決壊地点から近いため、地域・学校に濁流が流れ込みました。新田小学校では、この災害の記録と記憶を継承し、助けてくれた方々への感謝を忘れないために、19年経った今でも、10月20日には全校メモリアル集会と公開授業が行われています。兵庫県教育委員会発行の令和3年度学校安全総合支援事業報告書で、こうした継続的な継承活動を知ったことをきっかけに、関係者の皆様のご調整とご許可をいただき、この日の視察が実現しました。
この伝承活動の求心的役割を担っているのが、学校のシンボル的存在だった一本のポプラの木にちなむ「プラポン」という絵本、そして「ポプラの木のように」という歌です。
http://www2.city.toyooka.hyogo.jp/edu/school/nitta-es/purapon.html
(絵本プラポンの一部が紹介されています↑)
学校のシンボルであり、子どもたちが親しんでいた一本のポプラの木が、暴風により倒木し、根株ごと流出したにもかかわらず、海泥と化した田んぼの真ん中でどっしりと立ち、その後、芽吹き出した姿が、被災した新田小学校の子どもたちを強く励ましたことが、絵本や歌となって伝承されているのです。
全校児童が参加するメモリアル集会では、当時の映像記録のほか、被災された先生から「語り部」としてのお話があり、子どもたちが真剣に耳を傾け、最後に「ポプラの木のように」を合唱していました。その後、公開授業が始まり4年生の防災学習の様子を見に行くと、「水害からまちを守るために、どんどん工事を進めていって良いと思うか」という先生からの問いかけに対し、子どもたちが人間の命を守るための防災対策と共に、コウノトリを代表とする自然界の生き物も同時に保護していくにはどうすべきか、意見を出し合って協議する授業が行われていました。
校長先生に、「こうした伝承活動が 19 年経っても継続できる背景はどのようなことが考えられますか?」とお尋ねしたところ、「当時、被災された先生方や地域の方々の強い想いが一番大きい」とお話されていました。ただ、19年の長い年月を思う時、この強い気持ちを強いまま継承し続けることは決して簡単なことでありません。特に、豊岡市のように、広い範囲で市町村が合併すると被災を知らない先生の異動もあるでしょうし、世代の交代により実際に体験した人の割合が減る中で、継承への想いがどんどん風化していくことは、人口に膾炙するところです。また、昨今は新型コロナや働き方改革など、伝承を阻む壁は挙げればいくつでもあったはずです。
しかし、この日の視察を通じて見えてきたことは、災害を経験された方々の強い想いつなぐための ①仕組み化(メモリアル集会)②子どもの感情を伝えるツールの存在(プラポンの絵本や歌)③ツールの多様化(ダンスや劇、Tシャツなど、時代や子ども応じて開発されている)④ 感謝の想いを、他の被災地への支援へとつなぐことによって、先人の強い想いを継承し持続発展させている、と感じました。
災害の伝承は、国・まちの文化に応じて様々な形があります。
新田小学校の「プラポン」は、子どもたちが普段から「プラポン」と呼び親しみ、つながりを感じていたからこそ、 「プラポン」の生き抜こうとする姿に励まされたのだと思います。また、子どもたちが、「プラポン」への想いを、歌や本に託すことができた背景には、普段からの豊かな感受性や表現力を育んできた先生やご家族、地域の方々の支えがあってのことであるとも感じました。
今回の視察によって、「プラポン」の教材が新田小学校の子どもたちの心に浸透し、まさに「ポプラの木のように」力強く、優しく生きていこうとする姿に出会うことができました。それは、一人一人の子どもたちの心の中に「プラポン」が根を張って生きている、ということです。
SEEDS Asiaは、今後も国内外のそれぞれのまちの、それぞれの伝承の在り方について、見識を広げ、理解を深めると共に、国内外へとお伝えしていきたいと考えています。
最後に改めて、今回の視察にあたり、ご調整いただきました兵庫県教育委員会教育企画課並びに但馬教育事務所のご担当者の方々、そしてご快諾くださった新田小学校の校長先生を始め先生方に深く感謝申し上げます。